【公式】恵蘇八幡宮~朝倉地域の総社~

百人一首

百人一首

『小倉百人一首』の筆頭歌

斉明天皇の朝倉橘広庭宮への遷幸に随行した中大兄皇子(後の天智天皇)は、日本が独自の文化の礎をなした一人です。万葉歌人としても知られ、後世における歌がるたとして広く用いられた『小倉百人一首』の筆頭歌となっていることも広く知られています。

「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ我が衣手は露にぬれつつ」

百人一首筆頭歌碑

百人一首筆頭歌碑

この歌の解釈は諸説ありますが、天智天皇の母である斉明天皇が朝倉の地で崩御された際に詠まれた句といわれています。

現代では「秋の田の近くの仮小屋の苫(の編み目)がとても粗いので、私の袖は露に濡れていくばかりだよ」と訳されていますが、筑前風土記の中に「恵蘇宿と志波との間、道北のほとり秋の田と云う田あり。これ天智天皇の秋の田のかりほの庵のと詠みたじまえるところ也と云う」という一節があります。つまり天智天皇(当時は中大兄皇子)が、母である斉明天皇が崩御された際、秋の田といわれているところに殯をするための木の丸太を組んだ粗末な庵(木の丸殿)を建てられ、庵の中で母との別れを惜しみ、流した涙で衣の袖を濡らした、子が母を思う歌であると、朝倉では解釈しています。

このようなことにちなみ、朝倉市では毎年百人一首大会を開催しています。また、朝倉市は小倉百人一首の筆頭歌が詠まれた地と伝えられており、小中学校で五色百人一首が授業で行われています。五色百人一首は小倉百人一首を5色(赤、緑、黄、橙、青)、20枚ずつに分け色別に試合を行います。

『百人一首』の聖地

中大兄皇子(後の天智天皇)所縁の地、『小倉百人一首』の筆頭歌の舞台であることから、滋賀県大津市の近江神宮と共に、恵蘇八幡宮は『百人一首』の聖地とされています。1月下旬の新春かるた会をはじめ、競技かるたの名人・クイーンの奉納かるたも行われています。